JA梨北

新着情報一覧

梨北散歩(管内の名所・史跡・店舗・景観ポイント等を紹介)

管内の名所・史跡・店舗・景観ポイント等を紹介するコーナーです。

 

25.韮崎市神山町 一石百観音石像

 

 この石像は、現地より北方五百mの、隆岩山玉保寺にあって、宝永六年(一七〇九)天下泰平・国土安全を願って造立されたものであるが、廃寺となったので、明治十七年(一八八四)信徒たちによって、武田八幡神社の神宮寺跡地に移され、さらに現地に動座された。

 石造の高さ、下部の幅とも約一.七mの安山岩製で、頂部には阿弥陀三尊の梵字を彫刻、その下部全面には、西国三十三番・東国三十三番・秩父三十四番、合せて百躰の小観音像を、七段に配列したものである。

 かつては、各地の霊場めぐりが盛行したが、その後一カ所で参拝できる方式まで進展した。観世音は慈悲深い菩薩として、人々の信仰を集めた。なお、各地に百観音の文字塔は散見するが、像塔としては稀にみる貴重な遺物である。

(立て看板より)

 

24.韮崎市穂坂町 穂坂自然公園

 市が穂坂町に所有している山林を市民の健康づくりと自然体験などに活用するために2009年度より整備を進めてきたものです。
  駐車場、トイレを備えた多目的休憩施設(ふれあいセンター)を中心に、隣接する山林の豊かな森林資源を活用した体験交流型イベントが行われます。 また、隣接する山林は、2008年度より森林整備が行われ、里山として再生していく過程が観察できる貴重な自然観察園として、全長4㎞の遊歩道が整備されているため、健康ウォーキングなどで自然豊かな森林の中を気軽に散策することができます。また2016年には、プロマウンテンランナーとしてご活躍の山本健一氏監修のもと「サンライズヒル穂坂トレイルランニングコース」を開設しました。

(韮崎市ホームページより)

23.北杜市長坂町 建岡神社 書跡 法楽百首と御染筆の額

 建岡神社は770年以降に創建され、その後、山津波などのため人家とともに現在地に移されたと伝えられている。保元元年(1156)に黒源太清光が諏訪神社を配祠して、今日に及ぶ。

 江戸時代後期、和歌に造詣の深い神官輿石森興は、当社が有栖川宮家の祈願所だったことから、しばしば京都に上り公家と親交をもった。これらの人々により奉詠された和歌が「法楽百首」である。貴族の和歌を奉納することで、建岡神社の神の賛美を行ったものと考えられる。日野大納言資矩の和歌をはじめとした100首が奉納されている。

 また、文化5年(1808)、有栖川宮中務郷織仁親王の筆による額字「建岡神社」が寄進され、社宝として残されている。

(立て看板より)

 

22.韮崎市藤井町 韮崎の水車

 この水車は黒沢を分水 明治6年(1873年)操業を開始してから昭和30年まで83年間の長期にわたって使用され、昭和56年、黒沢の改修により、藤井町南下条514番地山木峰吉氏より寄贈された水車である。

 水車は、水の力で羽根車を廻し、車軸へ取り付けである歯車の回転によって、桁をおろすとその力で石臼の中にある玄米が精米される仕組みになっている。臼数18箇、フル回転すると1回に10俵精米できるという県下屈指の大型水車であり、古くから藤井五千石といわれた米麦の本場として活躍された当時の雄姿が偲ばれる。

(立て看板より)

 

21.北杜市小淵沢町 北野天神社

(北杜市小淵沢町 細野 昌一さんからのご紹介)

 この神社は、日本武尊(やまとたけるのみこと)、菅原道真(すがわらみちざね)公を祀る。

 延喜15年(915)近郷を大八幡庄と言われたころ、字、天神森に日本武尊を祀り、山宮天神と称し、永延元年(987)字、天神宮に神殿を造営して遷宮し、京都北野天満宮から菅原道真公の御分霊を勧請して合祀し、北野天神社と敬称した。

 菅原道真公は、学問の神として崇拝されており、新入学を迎える親子の参詣がたえない。

 山梨県指定有形文化財として、武田信満が奉納したと言われている鰐口(わにぐち)がある。又、毎年秋に行われている大和神楽は、市の無形文化財に指定されている。

(立て看板より)

 

20.北杜市須玉町 三輪神社六時蔵鐘幢

 石幢は、鎌倉時代禅宗の渡来に伴い中国から伝えられ、我国独自の様式を生みながら各地に広まった。

 この石幢は、最下部に基壇をもうけ、順に円柱状の幢身、中台、地蔵を安置する龕部には、扁額が掲げられている。さらにたる木の付いた笠を重ね、最上部に宝珠をいただく。高さ2.68Mの安山岩製。

 幢身部に「永亨七年甲寅(1432)十月十六日聖西連坊並一結衆」の刻名が見られ、西連坊とこの地の人々が力を合わせて建立、供養した事がうかがえる。

 同種の石幢は峡北地域を中心に信州まで分布するが、三輪神社六地蔵幢は甲州型ともいうべき特徴を備え、本県における室町時代の代表的な遺構。

(立て看板より)

 

19.北杜市高根町 金刀毘羅神社 箕輪新町のおんねりと巫女の舞

 発祥の時期については明確な記録は残ってないものの、文政7年の古文書と「甲斐国社記・寺記」慶応4年に記録として残っている。

 元来巫女舞は、神楽の一部として舞われているが、新町の舞は独立したものとして舞われ、その格調といい芸能の持つ民族性といい、県下に数ある巫女舞の中でも突出した価値を備え格調の高いものである。

 舞は、金刀比羅神社の秋の例大祭に奉納され、奉納する前に、『お立前』と『おんねり』を行う。

 『お立前』は、氏子総代長宅を頭家として舞の正装を整え、『おんねり』は、下木戸地区から上木戸地区の神社まで行列が進行する状態を称し、これらの儀式と古い伝承とを習合させたものを一括して指定している。

(立て看板より)

 

18.北杜市白州町 秋葉大権現常夜石燈籠

 

往年、台ケ原宿が火災と水害に見舞われたことに起因して、慶応三年「秋月講」といグループが誕生し、防火を念願して「秋葉大権現」の石燈籠を旧小松家(本陣)屋敷跡に建立して、大火の防火を祈願した。

 その後、「秋葉講」として祈願グループが広がり、年々秋葉山に代参をたて、地域の火災予防に寄与してきたが、諸般の事情により自然消滅した。近年、集落内に火災が続発し、恐怖心に包まれた折りもこの石燈籠が地域住民の心の支えになり、毎年、十二月十五日を祈願祭としている。

(立て看板より)

 

17.韮崎市神山町 武田廣神社

当社は、日本武尊の御子である武田王を祀ったことに始まると伝えられています。すなわち武田王は、当地に封を受け、甲斐の国を治めたと云われています。その居館を「桜の御所」と呼びました。王の薨去時には、なきがらを埋葬する鰐塚と呼ばれる塚と共に館跡に霊廟が建立されました。王は霊廟に武田武大神として祀られ、その霊廟が当社の起源と伝えられています。

額塚の「武田廣神社」の謹書は2015年ノーベル賞「医学・生理学賞」を受賞された当神山町出身 大村智博士の揮毫によるものです。

(立て看板より)

 

 

16.北杜市長坂町 岩船地蔵

 

県道長沢-小淵沢線の大井ヶ森関所(口留番所)跡から小淵沢方面に200mほど行くと、大井ヶ森聖観音堂(旧西方寺跡)があります。その境内にあるのが、船に乗ったお地蔵さん。船は、石でできています。「岩船地蔵」と呼ばれるこの地蔵尊は、下野国(栃木県)は岩船山高勝寺を起点に流行した踊念仏の地蔵尊で、八ヶ岳南麓には、長野の佐久地方を経て、村から村へ連鎖的に伝わってきたもの。地蔵尊の背には、「享保四年」「大井ヶ森 施主善男女百三人」と刻まれています。

(北杜市ホームページより)

 

 

 

 

15.甲斐市宇津谷 米沢区道祖神 (ご紹介者:山田健一郎さん)

 同地区にお住まいの山田健一郎さんからご紹介いただきました。

 道祖神には菊の御門や武田菱、鶴の絵柄のほか、左右の側面に彫刻が施されています。教育者であった山田さんの祖父から伝え聞きいた話によると、右側面には中国の古い言い伝えにある、命の大切さを伝える逸話にまつわる絵柄が、左側面には、「かわいい子には旅をさせろ」ということわざにまつわる絵柄が彫られているそうです。

 毎年、1月11日には、竹やしめ縄で飾り付けをし、子供たちに菓子袋を配る祭りが催されています。

 

14.北杜市小淵沢町 大滝神社

大滝神社の地内にあり、木をくりぬいた樋口から流れ落ちる湧水が涼やか。
まわりは公園として整備されており、景観がよく、春は新緑、秋はモミジの紅葉が楽しめます。
 昭和60(1985)年、三分一湧水とともに「八ヶ岳南麓高原湧水群」として環境省の名水百選に認定されました。水温は年間を通じて約12℃。日量約22,000トンの豊かな水源が、 古くから近隣の人々の生活を支えてきました。
 現在でも水田の灌漑や、ニジマスの養殖に利用されている大事な湧水です。

(北杜市観光協会HPより)

 

13.韮崎市 午頭島公園

 公園には樹齢50~120年のアカ松182本が植えられています。この松は釜無川が氾濫する度に耕地を流されてしまった農民が困ったあげく松をたくさん植え、水難をのがれたといわれています。現在は移民の憩いの場として親しまれています。

 園内の花壇には、ツツジ(市の花)コブシ(市の木)などが植えられ市民の心をうるおしています。

(立て看板より)

12.甲斐市志田 お舟石古墳(ラザウォーク甲斐双葉店地内)

 今からおよそ1400年前に甲斐市志田、下今井、宇津谷一帯を治めていた有力者或るいはその家族のお墓です。現在は石室と呼ばれる石で造られた部屋だけが残っていますが、もともとは地面から3.5mの高さまで土がもられ、小さな山のような形をしていました。

 石室から約7mの地点には、石室を囲むように幅3m、深さ1mの周溝と呼ばれる堀が円形に巡らされていて、堀の南側と東側からは合計2頭分の馬の歯や須恵器と呼ばれる灰色をした土器が出土しています。古墳の掘から馬歯が出土する事は珍しく、大変貴重な発見といえます。

(立て看板より)

 

11.韮崎市藤井町 韮崎中央公園ミニSL

 

ミニSLは、昭和40年代半ばまで、川越線や八高線で活躍していた9600型というSLの1/10の模型で、石炭をたいて走ります。線路の全長は約242Mで、林の中を走る姿は当時の雄姿そのままです。

なお、このミニSLは、日本工業大学附属東京工業高等学校機械科の学習教材として制作され、たもので、学校の厚意により同公園に設置されています。

10.北杜市須玉町 根古屋神社“大ケヤキ”

根古屋神社 左

 根古屋神社には2本の大ケヤキがあります。共に樹齢800年程といわれる巨木です。それぞれ田木・畑木と呼ばれています。その名は江戸時代後期に編纂された『甲斐国誌の中にも見られます。古来より両木の芽吹きによりその年の豊凶を占い、田木の芽吹きや葉の繁りが良い年は稲作が、畑木が良い年は畑作物が豊作になると、いわれてきました。このケヤキは農業に専念してきたこの地域の人々にとって、大切な占いと信仰の対象だったそうです。

(立て看板より)

根古屋神社 中

根古屋神社 右

 

9.韮崎市穂坂町 倭文神社

IMG_3848

 甲斐国所在の延喜式内社二十社の一つで、甲斐国志には倭文神社降宮大明神とあります。御祭神は天羽槌雄命と天棚機姫命、例祭は十月十日です。

 穂坂総社と言い、宮久保、柳平、三ツ沢三村の産神で郷中最も格式の高い神社であったそうです。穂坂町の御牧の役人や妻女たちが織った倭文織りの守護神で、産婦の守護神としても崇敬厚い神社であるそうです。

(山梨県神社庁ホームページより)

8.北杜市大泉町 金生遺跡

IMG_2354

  大泉町谷戸にある国指定の史跡です。縄文時代後期から晩期の祭祀場と中世の城館跡や集落跡が複合した遺跡です。縄文時代の遺跡には、住居址群や配石遺構など埋葬施設や祭祀施設が複合した遺跡です。隣接する金生公園からは、北杜市の豊かな自然や農村地域の景観を楽しむ事ができます。 (ウィキペディア (Wikipedia)より)

 

7.韮崎市 姫宮神社 鏡石

姫宮神社

 韮崎市本町の姫宮神社には、鏡石と呼ばれる石があります。

 かつて山岳信仰の1つの富士講をする人達によって、宝暦7年に舟山に設けられた石造物です。高さ1.3メートルの台石の上に直径76センチメートルの安山岩製のドーナツ型の鏡石が乗せられています。

 同神社は、災難除、水陸交通安全の神として崇拝されており、御祭神として湍津姫命、市杵島姫命、田心姫命を祀っています。祭典当日には昔から草相撲が盛んであり、現在も子供相撲が続けられています。

(神社内立看板・韮崎市ホームページより抜粋)

 

6.北杜市須玉町 正覚寺 味噌なめ地蔵
IMG_0540

 北杜市須玉町若神子にある正覚寺の参道入口には、「味噌なめ地蔵」と呼ばれるお地蔵様が座っています。

 全身に味噌が塗られ、背中には荒縄で縛ったかのような跡がいくつも見られます。古くから、「信玄公が信州川中島から、縄をまきつけてズルズルと引いてきた」という逸話があるそうです。

 このお地蔵様には、「自分の体の病んでいる部分と同じ個所に味噌を塗って祈願すれば必ず治る」という言い伝えがあります。最近でも、祈願に訪れた方が塗った味噌が、あちらこちらに見られます。

 

5.韮崎市円野町 宇波刀神社(うわとじんじゃ)

IMG_0539

 

 山梨県韮崎市円野町下円井にある神社です。

 第18代反正天皇の皇女円比女(つぶらひめ)がこの地で諏訪明神を守護神として崇め奉ったことが起こり(創祀)と伝えられ、養老2年(718年)創建とされています。当時は宇波刀神社諏訪大明神と称したといいます。

 御祭神は、建御名方命(たけみなかたのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)、日本武尊(やまとたけるのみこと)で、勝運、五穀豊穣、安産などのご利益があるといわれています。

 2月17日に祈年祭(五穀豊作を祈る神事)、10月17日に例祭が催されています。

(神社内立看板より引用)

4.北杜市・韮崎市・甲斐市 茅ヶ岳

image1

 北杜市・韮崎市・甲斐市に属する標高1,704 mの山です。山容が八ヶ岳によく似ているので「にせ八つ」との異名があります。頂上から、奥秩父の主脈、甲斐駒ヶ岳や鳳凰三山などの南アルプスの山々、富士山までも展望できます。

 1971年(昭和46年)3月21日に、「日本百名山」の著者である深田久弥氏が、登頂まであとわずかの地点で死去した山として知られています。麓にある深田記念公園には、同氏の「百の頂に百の喜びあり」という言葉が刻まれた記念碑があります。同公園では毎年4月に、韮崎市と地元の山岳会「白鳳会」によって深田祭が開催されています。

 

3.北杜市須玉町 津金学校(旧須玉町歴史資料館)

IMG_8168  明治6年に建てられた旧津金学校は、日本で現存する最古の擬洋風学校建築です。

 1階の音楽室(休憩コーナー)は、当時学校で使われていた足踏みオルガンやピアノ等、懐かしい楽器や教材に触れる事ができます。また、カフェ明治学校(1階)では、津金のりんご等の果実をトッピングしたかき氷などが楽しめます。2階では、昭和30年頃の懐かしい教室風景を再現しています。貴重な二人掛けの木製の机と椅子、教壇や黒板などが展示されています。3階には、時の鐘ならぬ時の太鼓が設置されており、東西南北の窓から、南アルプスや津金の里山を眺望できます。

 NPO法人文化資源活用協会(文資協)が運営し、地域の貴重な文化資源として活用ならびに公開しています。

IMG_8172

IMG_8173

 

2.韮崎市旭町 椹池(さわらいけ)

 甘利山の登山口付近(標高1283m)にある小さな池です。池に住む大蛇の言い伝え(甘利山伝説)や、1980年代には池底から奈良時代の鉄剣が見つかり、TV取材などで注目を集めたことがありました。鉄剣や甘利山伝説にまつわる写真や資料は、椹池湖畔にある山荘に展示されています。

 池を1周する約20分のコースには、「樹齢約170年の栗大王」等と表示された大きな栗の木や、その根元に祀られる社と蛙の石像があり、木造の小さな橋や生い茂る多種の山野草などを楽しみながら周回できます。

 
IMG_7699

IMG_7700

 

1.北杜市白州町 石尊神社

IMG_6585

 北杜市白州町 石尊神社(せきそんじんじゃ) 北杜市白州町鳥原に鎮座し、大山袛命と日本武尊の2神を祀る神社です。創建は応永5年と伝えられ、約200年後の文禄3年に再興されたのが荒廃したので、江戸時代末期に、信州の宮大工立川流の工匠によって復興されたと伝えられています。
 背後の雨乞山は古くから信仰の対象となる霊山で、山頂では度々雨乞いの儀式が行われ、その際には石尊神社に参拝してから登拝するのが常とされていたそうです。秋の祭りでは相撲が奉納され、多くの参拝者が訪れます。
(立看板より引用)

IMG_6583

OLYMPUS DIGITAL CAMERA